今週の“土曜版”を見て、分かったのは、
先々週、先週あたりから、“土曜版”が“本編”の再編集を
完全に放棄していると言うことだ。
そこまでは、いろいろと盛り込みすぎて、
完全に、散漫で、迷走していた“本編”を、
描こうとしていた“コト”を上手く取り出して、“土曜版”として編集。
ほぼ、印象操作だと思えるほどの、思い切った編集だったのだ。
で、それも、ナレーションを上手く利用して。
もちろん、そういう編集にも、賛否はある。
実際のところ
“そういうドラマだったっけ?”っていう“土曜版”だったし。
とはいえ。
今作の序盤の頃と比べて、
有り得ないほど、大風呂敷を広げ、
全く回収をしない状態に成り果てていた“本編”のことを考えると。
例え、“印象操作”を意図しようが、意図しまいが。
“土曜版”には“土曜版”としての、役割があったと思うのだ。
だって、今作の中盤あたりから、
ほんとに、何を描きたいのかが、サッパリ分からない状態になったしね。
だから
“コレは、どうなの?”
と思うと同時に
“そういうコトを、描きたかったんだ!”
と思えることが出来ていた“土曜版”は、
コレはコレでOKだったと思うのである。
が、先々週あたりから。
そういう編集さえ、放棄して。
“月~木”のセリフの場面を、それなりに盛り込みつつ。
気がつけば。。。6割が“金曜”になってしまっているのが最近の“土曜版”
そらね。
大枠で考えて、起承転結。。。と考えれば。
最重要なのは、“起”と“結”で、そういう“編集”なのだろうけど。
だが、その途中の“承転”があるから、
“ドラマ”として、納得出来るんだよね。
そこを放棄した瞬間。
もう、“ドラマ”として、全く成立していないことを、
制作サイドは、率直に認めるべきだろう。
ま。。。“土曜版”を見てもらいたくない。。
または。。。“土曜版”を見なくていい。
って、考えているなら、それはそれでいいだろう。
じゃ、ね。
そもそも、2分や5分程度のダイジェストも作っていて、
そっちの方が、ナレーションの妙もあり、
内容がハッキリ伝わってくるんだから、
もう、“土曜版”を辞めて、
そういう短時間のダイジェストだけで、良いのでは?
それこそ。。。タイムパフォーマンスも。。。。。。
なんなら、コストパフォーマンスも。。。。じゃ?
今週の“土曜版”で、頭が痛いのは。
“物語”としては、それなりに成立している。
ってコトなのだ。
ただし。
“万太郎の物語”としては、違和感しか無い。
ってコトだ。
そう。それが、完全放棄していると感じる理由だ。
ほんと、これで良いの?
本家の感想。
https://plaza.rakuten.co.jp/tokukougi/diary/202309160000/
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