そもそも。
借金も、信用金庫、融資など。。。そしてリーマンも、
わざわざ混ぜる必要性がない“要素”なんだよね。
父・浩太が亡くなるだけで、必要十分だったのだ。
で、会社が回りにくくなると。ただ、それだけのことだったのである。
なのに、今作は、そういう“要素”をわざわざ混ぜてきた。
一応、それなりに回収しているように見せているモノの、
そもそもの“はじまり”を強調しすぎて、回収が弱いのだ。
例えば、信用金庫など、良い例。
今作、何度も盛り込んでしまった。
たとえ、“設定”が、そうだったとしても、ナレーションで必要十分なのに。
一度だけでも、気になるのに、何度もだ。
おかげで、その“設定”だけでなく、俳優の印象まで残る始末。
そのため、どうしても、気になってしまう状態だ。
なのに、その結末として描いたのは、
結末への状況を描いただけ。今週なら、新しい仕事と、悠人。
簡単に言えば、新しい“モノ”で、古い“モノ”を塗りつぶそうとしている感じ。
だが、たとえ、話の流れで成立していても。
強めに描いたモノは、印象に残るし。
悪いような雰囲気で描いたモノは、良い感じで描いたモノより印象に残るのだ。
それは、間違いなく、信用金庫とのやりとりなのである。
同じようなモノは、取引先とのやりとりだって同じだ。
結末だけを考えれば、一回だけでいいのに。
今作は、何度も、そして複数描いてしまった。
おかげで、どれだけ、御都合主義で、綺麗にまとめたつもりでも。
そういう雰囲気、印象は、残ってしまうのである。
もし、これを挽回、回収するなら、
その状況を、シッカリと回収した時だけだ。
だからこそ、結末で描くべきは、
お涙頂戴な描写や、社員たちとのアレコレでは無く。
信金や取引先とのやりとりだったのである。
今作は、本来、やるべき、そういう“回収”を全くしない。
だから、違和感が残ったままだ。
これまでも、何度も書いてきたが。
映像で盛り込むのが難しいというならば、
最終的に、ナレーションでカバーすべきなのである。
それこそが、本来の“ドラマ”の“回収”である。
今回というか、今週のエピソードだって同じ。
わざわざ、借金問題、信用金庫、融資の問題。そのうえリーマンまで盛り込んだ。
リーマンなら、見えているようで見えないような状況設定なので、
詳しくアレコレと描く必要性は、全く無い。
しかし、前者のアレコレについては、わざわざ映像化だ。
今作は、ずっと、これを繰り返している。
風呂敷を広げるだけ広げて、畳まない。
そんな今作。今週のエピソードだったが。
今回の“土曜版”では。
そういう“設定”の描写は、弱めだ。
とはいえ、“大人の事情”があるため、
盛り込む必要が無くても、映像をつなぎ合わせると、混ざってしまう。
だが、かなり弱め。
おかげで、
“土曜版”では、
父が亡くなって窮地に陥った“IWAKURA”を、
母と娘が協力して、立て直すという印象の物語にすり替えられた。
実際、取引先の印象も、印象操作されているし。
社員たちの印象も、印象操作されている。
ホントは、“本編”も、これくらいで、良かったのだ。
何度も書いてきたけど
“本編”だって、ナレーションで、カバー出来ただろうに。。。。
全体として、悪くない描写だっただけに、
ほんとに、、、ほんとうに、もったいないです。
本家の感想。
https://plaza.rakuten.co.jp/tokukougi/diary/202301210000/
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