「君と僕のイナムドゥチ」
内容
東京・杉並で、“ちむどんどん”の
開店準備を進める暢子(黒島結菜)そして矢作(井之脇海)
矢作は、沖縄料理も覚えてくれて、準備が進んでいた。
敬称略
作、羽原大介さん
脚本協力、新井静流さん
演出、田中陽児さん
う~~~ん。。。。
なぜ、知り合いの店からの“お下がり”を、イマサラ????
本来、こういう三郎たちを絡めた人情話を、
独立することが決まったときから、
様々なカタチで表現すべきであり。
開店まで2週間で、やるようなことか?
たしかに、矢作が言うように“新規”ってのも理解するんだけど。
それはそれだ。
頭が痛いのは、
アバンで、沖縄料理の手ほどきを暢子が矢作にしている場面だ。
沖縄の食材について言及し、その入手方法について話をしている。
その直後に、三郎や、“あまゆ”の主人たちや智がやって来ているのだ。
じゃ。。。。それじゃないのか?
そもそも、“あまゆ”で、10年弱住んでいて。
そのうえ、料理まで作って、客に振る舞っていたのである。
もちろん、その料理は、沖縄料理。
そう。“答え”は、そこしかないのである。
先ずは、“あまゆ”主人、当然、智。奥の手は、沖縄と繋がりのある三郎だ。
いや、そこしかないのだ。
“あまゆ”で、沖縄料理を出していないなら、納得する。
智が、“そういう仕事”をしていないなら、納得する。
三郎が、県人会と繋がりが無いならば、納得する。
なのに????
「“フォンターナ”で学んだ知識でカバー出来る」
で誤魔化しているけど。
じゃ、初めから、矢作に言うべきは、それだろうに。。。。。
気になるのは、
中盤当たりで行われている、くだらない“騒動”
暢子と矢作だけで、店を回す。。。っていうくだりだ。
これだって、“あまゆ”というモノが無ければ、納得出来たのだ。
だって、“あまゆ”は、基本的にふたりで回しているのだ。
なのに?
身重が。。。って、分かるけど。
じゃあ、そういう表現にすべきだろうに。
だって、
仮に、ふたりで店を回すことが出来るとしても。
暢子が臨月になれば。。。。。だろうし。
そうなると、ひとりになるわけで。。。。。。
もっと頭が痛いのは、家事が。。。ってのを、和彦にだけ言及。
あとで、智が、優子に、家事のことを語っているが。
それにしたところで、“あまゆ”のふたりも、同じことだ。
え?店の規模?
たしかに、二ツ橋の、その言葉から始まった“騒動”であるが。
それにしたところで、テーブルの数も含めて
“あまゆ”と、あまり変わらないし。
もう、今回の“やりとり”。。。すべてにツッコミどころが満載だ。
本家の感想。
https://plaza.rakuten.co.jp/tokukougi/diary/202208290000/
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