連続性の無さや、主人公たちの好感度の無さは、
とりあえず、横に置いておくとして。
今週のメインは、
暢子と和彦が、重子に挨拶。
のハズ。。。。ハズだった。
先週末、および、今週のはじまりは、そういう感じだったしね。
なのに、“本編”では。
いつのまにか、良子と博夫の物語にすり替えられ、
主人公たちの物語の結末は、曖昧なまま。
“土曜版”で、どうする??
と、気になっていたが。
想像していた以上に、主人公たちの物語が多い!!(笑)
確かに、主人公だし。。。当たり前だけど。
興味の無い“コト”を。。。。
いや、興味を抱かせないようにしてきた“コト”を、
延々と描かれてもなぁ~~~~~~~~
普通に苦痛である。
頭が痛いのは、
時間稼ぎのためか、“詩集”を多用してきたこと。
さすがに、どうなの。。。。これ。。。。
“カタチ”になっているのは、認めますけど。
だったら、せめて。
良子の部分と暢子の部分が“繋がっている”ことを、
“ドラマ”としては、強調すべきだっただろうに。
ましてや。。。。“本編”を編集している“土曜版”
“土曜版”だからこそ、もうちょっと、上手くやれば良いだろうに。
最後に。
“土曜版”を見た感じでは。
結末を描いていないのに、主人公を描きたかったようだね。
仕方あるまい。
あ。
でもね。
“本編”でも、気になっていたことが、
編集された“土曜版”だからこそ、気になったことが、ひとつあったよ。
それは、今作の話の流れ。
特に、暢子と重子の関わりだ。
初めに、サーターアンダギー。
弁当攻め
あまゆ
そして、フォンターナ。。。のネタフリで、再び弁当だ。
時間稼ぎなのは分かるけど。
“本編”の感想でも書いたが。
なぜ、主人公は、
プロの料理人であるにもかかわらず。
そして、フォンターナで、先日の西郷さんのときに学んだはずなのに。
なぜ、主人公は、重子コトを和彦に聞かないんだ?
いやまぁ、房子に父のことを10年ほど聞かなかったので。
一貫性があると言えば、そのとおりだけど。
プロだよね?
そもそも、サーターアンダギーでさえ、
自作であることを、強調しても良かったくらいなのだ。
まぁ、サーターアンダギーと、イタリアンの両方にすべきだとは、
個人的には、思いますが(笑)
和彦と重子の話し合いにしたところで、
何度も会っていて。。。あげく手紙って。。。。
不必要に紆余曲折させすぎだよね。これ。
紆余曲折するにしても、適切な量というのがあるわけで。
今週は、アレもコレもと。。。やり過ぎだ。
結果的に、結末だけが“少し変わった”という程度なので。
紆余曲折の意味が無いんだよね。
やるならやるで、変化をシッカリ描けば良いだろうに。
ま。。。今作は、“過程”を描くのが、苦手だから、無理だろうけど。。。。
本家の感想。
https://plaza.rakuten.co.jp/tokukougi/diary/202207300000/
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