内容
房子(原田美枝子)から、新聞社で“ボーヤ”として働くよう、
命じられた暢子(黒島結菜)
だが、全てのことに悪戦苦闘。。。
その新聞社で和彦(宮沢氷魚)と再会する。
そんななか、歌子(上白石萌歌)から相談される暢子。
敬称略
ほんと、異様。異常。
そもそも。新聞社は“客商売”だと言えるのか?
もしも、人間関係などで成長を促すというコトならば、
そんなの“客商売”のレストランで十分じゃ無いのか??
例えば、今回。。。和彦から“ここの食堂”という単語が出た。
そう。この新聞社には、社食が存在するのだ。
じゃぁ。房子が命じるのは、その食堂で働くことなのでは?
例えば、イタリアのことを、レストラン、シェフ、料理人のことを、
はては、“世間のこと”を
教えようとしているなら、新聞社で無くても、出来るわけで。
そう。どこにも、新聞社である意味が無いのである。
せめて、。。。。そうだなぁ。。。。先日の客。。。淀川(本田博太郎さん)が、
なんらかの“納得出来る理由”を提示して、
房子が納得しているならば、まだ、理解は出来るが。
意味が分からない。
レストランで働いているのに。
レストランより、新聞社の優位性が分からないです。
。。。。厄介払いにしか見えない。。。
逆に、その程度の指導が出来ない房子に、違和感しか無いです。
もしも、和彦と再会させたり、“同居”させるのが、
今作の“アルバイトの目的”ならば。
そんなの。
三郎が紹介してくれた下宿に、すでに暮らしているだけで良いわけで。
アルバイトの意味が全く無いのである。
むしろ。下宿である沖縄料理屋を起点にする方が、
まだ、納得出来る。
ってか。。。。なぜ、マスターが料理しない???
なぜ、暢子が?
せめて、暢子とマスターが一緒に料理すべきだろうし、
そういう場面にすべきだろうに。
そうすれば、暢子が料理をしている。。。というだけでなく。
“プロ”から料理を教わっているというのが、ハッキリ分かるのに。
もうなんていうか。。。。支離滅裂というか。
何をやりたいのかが、サッパリ分からないです。
本家の感想。
https://plaza.rakuten.co.jp/tokukougi/diary/202205310000/
- 関連記事
スポンサーサイト
