「はじまりのゴーヤーチャンプルー」
内容
1972年5月。沖縄が本土復帰した日、
暢子(黒島結菜)は、料理人になる夢を叶えるため東京へ。
だが、早苗(高田夏帆)に案内してもらいながら、
人や車の多さに衝撃を受ける暢子は、
早苗が勧める銀座のレストラン“フォンターナ”へ。
敬称略
作、羽原大介さん
脚本協力、新井静流さん
演出、木村隆文さん
“新章”のはじまりである。
う~~んん。。。。。そういう演出、演技指導をつけてしまっているから、
仕方ないんだけど。
別に、方言をしゃべること自体は、不快感はないのだけど。
さすがに、大声を連発しすぎじゃ?
それも。。。レストランで。
そもそも。
早苗も、方言を指摘するのではなく。
大声を指摘すべきでは無いのか?
問題点が、いくつかある。
一番の問題は、東京に、料理に衝撃を受けるのは、良いとして。
さすがに、“前章”と比べても、大声を上げすぎじゃ??
主人公って、そういうキャラだっけ???
じゃなくても、不快感がある状態だったのに。
不快感を上塗りしてしまっている。
そもそもの話をすると。
そういう“キャラ”であることを、子供時代から、
シッカリと描いていれば、不快感なんて、感じることは無かったのだ。
“そういうキャラ”だと思うことが出来るからだ。
まぁ。。。子供から、大人になったのに?という疑問は生まれますが(笑)
他にもある。
相変わらずのトラブルの連続であることだ。
見ているこっちが。。。“まさかや~~~~”“ありえん”って、
叫びたいくらいだよ。
さすがに、盛り込みすぎでしょう。
何をしたいのかよく分かりませんけど。
“15分”で出来ること。“週5”で出来ること。
そして“6ヶ月”で出来ること。
いろいろとあるのだけど。
主人公の物語を描いていない現時点で、
脇役のネタを盛り込みすぎなのは、言うまでもない。
“新章”になれば変わる。。。。と勝手に、夢を見ていたのに。
予想通り。。。。。期待通り。。。。の散々な状態。
直前に見ている《芋たこなんきん》との落差が大きすぎて、
今作に対して、何一つ、面白みを感じることが出来ないです。
- 関連記事
スポンサーサイト
