「1994-2001」
内容
母と向き合うことを決意したるい(深津絵里)
そんななか、帰宅したところ、ひなた(川栄李奈)から
古い英語のテキストを手渡される。
敬称略
作、藤本有紀さん
演出、橋爪紳一朗さん
勇「アメリカ行ったんじゃと思う」
1.知らない
2.知っているけど言わない、言えない。
もちろん、どちらかだろうが。そこは、どちらでもいい。
ただ、今作は、あくまでも“ドラマ”なので、
基本的に“断定的表現”も存在するものの。
1.情報の提示が無い
2.曖昧な情報提示
のどちらかも、意外と多い。
そのため、“ドラマ”として、フワフワした曖昧な印象で。
“連ドラ”として“繋がり”を感じにくい状態になっているのである。
だが、“連ドラ”なので、最終回までに、繋げる必要性があるため、
“後出しじゃんけん”で、情報を提示する。
これは、あくまでも“穴埋め”であり、“回収”ではない。
“回収”だと言うなら、それなりにそこに繋がるための“何か”の提示が、
先ず必要であるが。今作は、全く無い。
言ってみれば。
今作は、
“刑事ドラマ”で、犯人を逮捕してから、捜査をしているような感じ。
そう。。。事件さえ起きていない時点で、犯人を逮捕しているのである。
さあ。。。これは、“流れ”として、正しいのだろうか?
これは、“回収”なのだろうか??
だから、後出しじゃんけん。。。後付けのイイワケにしか見えないのである。
例えば。
前回のラストあたりで。
るい「お母さんを探しに、アメリカに行きたい。」
好意的に見ることが出来る人には、“アメリカに行った”と思っているかも。
。。。だけど。
今作は、今まで、何一つ、“行った”と断定していないのである。
それどころか。
今作の表現では。。。。ロバートって。。。日本に仕事でいるわけで。
それこそ。。。軍人も。。。仕事だ。再会時も、仕事だ。
そう。明らかに、日本に住んでいる。
そんな人に、“アメリカに連れて行って”と言って、
仕事を放り出して、帰国するのだろうか?
今作の表現だけを考えると。。。。。。。疑問しか無い。
なのに、今作は、イマサラのように、“アメリカ”を連呼。
どうしても、印象づけをしたいようである。
例えば。勇は知らないが、雪衣は知っている可能性もあるわけで。
もちろん、今回の“豆腐屋”は、何かがあるのだろうが。
どこにも、“行った”は、無いのである。
今作は、基本的に、こういうことばかりをしている。
だから、先日のように、
岡山に不義理、大阪に不義理をしている主人公が表現されると。
納得出来ると同時に。不快になるのである。
“連ドラ”なのに。こんなのばかり。
ここまで、“連ドラ”として破綻状態なのに。
こんなの、納得出来る人は、ほんとに、凄い人だと思いますよ。
最後に。。。
で。。。《富夫》は。。。確定?(笑)
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