「1964-1965」
内容
回転焼き屋を始めたるい(深津絵里)と錠一郎(オダギリジョー)
だが、全く売れず、困り果てる。
そんななか、一子(市川実日子)が様子を見にやってくる。
“あんこの味”には自信があるというるい。
敬称略
結局、“前回のアレだけ”で、開店するんだ。。。。(苦笑)
いろいろあったモノの、
一応、裕福な雉真家で育ったるいならば、ある程度“確かな味”になる。
。。。可能性はある。あくまでも、可能性だけですが。
もちろん、それが“母の味”“たちばなの味”と同じかどうかは、ビミョー。
そのうえ。
今作の描写を考えると、錠一郎の味覚は、基本的にケチャップ。
そう。こういう言い方もどうかと思うが。。。“お子様”なのである。
実際、言動も。。。だけどね!
そんななか、再登場の堀部圭亮さん。
と言っても、“吉兵衛”ではなく。。。その息子の“吉右衛門”である。
意外と重要なポイント。
その吉右衛門が、“舌が肥えている”と言い切ってしまった。
こんな状態で、
なぜか、味に自信満々の“主人公・るい”
もう、なんていうか。支離滅裂どころか、全てが崩壊している。
まぁね。。。言わんとしていることは、理解しているけど。
先日も指摘したが、“今作が表現してきた主人公・るい”が、
“味”を語るのは、ほんと。。。どうかと思う。
そもそも。。。。“呪文”は“おいしゅうなあれ”なのである。
極論を言えば、
あんこだけでなく。他の料理でも、“呪文”は通用するはず。
だったら。
大阪のクリーニング店で、料理を作ったり、
和子に教わったりしたときに、“呪文”を唱えるだけで良かったのだ。
たった、これだけのことで、
今回の回転焼きも、“たちばなの味”“母の味”でなくても、
“自慢の味”は、成立するのである。
ほんと、単純なことだったのに。。。。
回転焼き屋になるのが、主人公・るいの目的などでは無いとしても。
“たちばな”のことや、“安子編”の描写があるんだから。
もう少し、丁寧さ、繊細さで、回転焼き屋の開店を描いて欲しかったモノだ。
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