「1964-1965」
内容
錠一郎(オダギリジョー)の周りの環境を変えるためにと、
るい(深津絵里)は、ふたりで京都で暮らすことを決意。
平助(村田雄浩)和子(濱田マリ)木暮(近藤芳正)に見送られ、京都へ。。。
早速、ふたりは、
お茶の師匠をするベリーこと野田一子(市川実日子)のもとを訪ねる。
その後、ふたりは、北野天満宮の縁日で。。。るいは、あるモノを見かけ。。。
敬称略
最近。。。。っていうか、今作だけでは無いのだが。
直前に放送されている《マー姉ちゃん》のほうが、
“ドラマ”として、楽しいです。
にしても。
前回のラストと、今回のアバン。
これ。。。。繋がってるんだよね??(笑)
う~~ん。。。メリハリがあると、好意的に見るべきか。
手抜きと丁寧さの落差が激しすぎる。。。と見るべきか。
ただ、どちらにしても。
丁寧さは、無駄な引き延ばしと表裏一体だし。
手抜きは、内容が無い。。。と表裏一体。
受ける印象がプラスかマイナスかは、
オモシロく感じるか?次を見たいと感じるか?
に、かかっているわけで。
現状では、御都合主義の違和感が強すぎて、
面白みを感じにくい状態だ。
最後に。
まぁ、描こうとしていることは、分かるんだけど。
“安子編”での、“るい”を絡めた、“そういう描写”が雑すぎて。
好意的に見る...以上に、“かなり”好意的に見る必要がある感じだ。
例えば。
“るい”が大阪にいたのは、2,3歳の頃。
確かに、手伝っている描写はあったけど。
ラジオ講座に聴き入るようになってからは、
“るい”は、ラジオ一辺倒の描写が強かったのだ。
途中から、“安子”が必死になっていたというのもあるしね。
で、その後は、岡山で。。。だけど。
これにしたところで、途中から行商無し。
ハッキリ言って、“安子”が作っていたかどうかさえ、不明瞭だったのである。
そのうえ、“算太”と“たちばな再建”に動き始めたことで。
雉真家の面々の態度もあるけど。
“普通”に考えれば、“安子”と“算太”が、
ふたりで、思い出の味を作っていた可能性が高いのだ。
そう。かなり好意的に見ても、2,3歳の頃の記憶だけじゃ?
まあ、全く無かったとは言いませんけどね。
少なくとも、小学校入学直前から後は、
何もやっていなかった可能性が、かなり高いのである。
そこを言い出してしまうと、家事手伝いに関してもビミョーだけど。
雉真家での立場を考えれば、。。。。。。
こんな状態で、今回の出来事。
“ドラマ”としては、理解しているが。
これを、“御都合主義”と言わず、、、何というのだ?
だから、何度も書いてきたのだ。
今作にとって、間違いなく“根幹”になるのは、
“安子編”ではなく“るい編”なのだから。
もう少し、“安子編”で、“るい”をシッカリ描いていれば、
こんな違和感を抱かなかっただろうに。。。と。
そもそも。。。“おいしゅうなあれ”のおまじないにしても。
“るい”より“安子”のほうが、残っている印象が強いし。
“るい”の印象は、かなり薄めなのに・・・・・(苦笑)
描いていたことは覚えているし、
描いていないとは言いませんけど。。。。。
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