「1964-1965」
内容
錠一郎(オダギリジョー)にことで、心配したベリー(市川実日子)が、
るい(深津絵里)を訪ねてくる。
すると、るいは、錠一郎と幸せになることを諦めていないと告げる。
その後も、るいは、錠一郎のもとに通い続ける。
トミー(早乙女太一)たち仲間も、錠一郎のためにと、いろいろと。。。。
だが、錠一郎の悩みは深く、るいの気持ちを受け入れることも出来ずにいた。
そんなある日、ラジオから“OntheSunnySideoftheStreet”が流れ、
それを聴いたるいは、いてもたってもいられなくなり。。。。
敬称略
“野田一子”
“読み”が不明なので、なんとも言いがたいが。
そんなことより、
ここで、“京都”を、わざわざ強調したので。
まぁ、きっと、“そういうコト”なのだろうね。
ラストでも、“ひなたの道”を強調していたし。
ってか。。。かなり強引で、不自然だけどね(苦笑)
そのあたりはともかく。
見れば見るほど。
“安子編”で、シッカリと“るい”をシッカリと描かなかったのが、
悔やまれますね。
以前も書いたけど。
“るい編”を基準に考えるならば、
“安子編”は、“主人公・るい”にとって、幼少期であり。
いつもの“朝ドラ”なら、1~2週で描いていることなのだ。
それが、ちょっと長かっただけだよね?
“安子編”という“くくり”。。。いや“枷”をつけなければ、
もう少し、シッカリと描けたんじゃ無いのかな?
そうすれば。“OntheSunnySideoftheStreet”にしても、
“ひなたの道”にしても、
好意的な脳内補完に頼らずに、シッカリ描けただろうし。
そういう“あざとさ”に頼らずとも、
本当に、納得出来ていたんでは無いだろうか??
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